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さいごのころも
今年の春、父が死んだ。

大酒呑みで、会社帰りでも呑みたくて、40年間 往復10キロちかい職場まで自転車で通勤していた父・・・
「シラフのときがほとんどなかったので、間違ってお前が生まれた」と子供のころから母に言われて、ほんとにそうなのかも?と、ミョーに納得して育った私。

私には、9歳と6歳上の兄が二人いるのだけど。

子供の頃から音楽好きな長兄は、10代でインド音楽にはまり・・・インド、パキスタン、アフガニスタン、バングラデッシュ・・・仕事のかたわら、さまざまな国をめぐりながら・・アマの民族音の奏者をしています。
さすが長男!「大好きなことは仕事にすると、大好きでいられなくなる」
と・・たしか高校生のときに言っていたのを覚えています。

んで、もう一人の兄は、大学時代に能楽研究部からすっかり能に魅せらて・・・そのままお能の
世界に入ってしまって、今は 観世流の能楽師になっておりまして。

死生観。
こればっかりは、本当に人によってぜーんぜん違うものでして。
私の父は多分、どうでもよいというか・・・全く考えてなかったといったんじゃないかしら!?
その辺り、とても私は父に似ている気がします。

貧しい国の、仏教を目の当たりに見てきた長兄は、日本の葬式仏教がどうも・・・?で。
かたや、死後の世界のお話のなかで役者をしている次兄にとっては、死んだあとに人は仏の弟子になるのだから、ちゃんと信頼できるお上人さまに弔ってもらい、良い戒名をつけていだだくことが大切なのだと・・。両者一歩も引かず・・・で、見かねた母が双方の間をとったかたちのお葬式となりまして。
まずは葬祭場で家族だけでお別れをして・・。

そのときの父の死装束・・・。これがイタダケナカッタ・・・。
ペラペラのシルクサテンのような(多分、シルクじゃない)着物。
高校出てすぐ、「大学あきらめて、織物の学校行くことに決めた!」なーんて抜かして郡上にいって仕送ってもらっていた私。その4年後には夫と結婚してしまったので、実家ではちょっと影の薄い私でしたので、葬式のスタイルに口出しする気はありませんでした。・・・が、父の最期の衣は、私が織るべきだったと猛省しました。

この数年、ずっとあたためてきた「墨灰色~乳灰色」の紬と帯の展開。
ようやく この冬くらいから作りはじめられそうです。
織物屋だから、ただの無地じゃつまんない。無地なんだけど、無地じゃない無地。
白でも白じゃない白。

まるで灰のような・・・。
by senshoku-iwasaki | 2008-09-18 21:59 | 骨子・背景
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