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ルーツを辿る珍道中。その2
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九州における、iwasakiのパワースポットといえば・・・日田の皿山・小鹿田の里でして。昭和30年発行の柳宗悦編纂
の『日田の皿山』を神田の古本屋さんで買って・・・クニヒサとビンボー旅行に出かけたのは、20年くらい前に遡ります。
~まだ訪ふ折を有たない人に私は日田行を勧める。~の、宗悦の記事は初め・・・昭和6年に『西部毎日』佐賀版に寄
稿した『北九州の窯を見る』と題したものの一部というから・・・勧めから60年以上経って私たちは出かけたのだけれど。
すでに平成になっていたのに、その神々しいまでの民陶の里にすっかりやっつけられてしまいまして。
川の水力を利用して、土地の陶土を細かくし、水に晒して・・・陶土を作るのは女の仕事。カタチにするは主人の仕事。
とにかく当時でさえ、日田の町からバスで行ったのだけどそれが大変時間がかかって・・・。こんな山奥に人が住んでる
なんて!!着いてみると、10軒ほどの世帯がみんな窯元。きっと、四六時中焼物なのだと。生きる=小鹿田焼なのだ
と・・・。機織りだけでまだ喰うコトすら出来ていなかった20代半ばの私にとっては、死ぬほど恋焦がれる暮らしでした。
私たちにとって・・すっかり聖地となったこの地には、機織りだけで生活する!と心に決めて今の南部町に移り住む前、
20代の終わりにもう一度訪れてから・・・いつの間にか17年ほど経っていました。

小鹿田の里は、あの頃とほとんど変わっていませんでした。
ただ大きく変わっていたいたのは、人(観光客!?)が大勢訪れていたことと、民陶ブームでモノがあまり無いという
これまた羨ましい(笑)現実でした。忙しそうに発送の準備に追われているご主人や、息子さん・・・。
都内のショップや、民藝店にはきっと・・・完成度の高いモノが並んでいるのかもしれませんが、やはりココは聖地。
伸びやかで、生き生きとして、チョットだけ歪だったりするチャーミングな器たちを少し頂きました。
嬉々とテンション揚がった私に、子供たちもなんでか吊られて(笑)自分たちの取り皿を自分のお金で買っていたので
大きくなってもこの日のコトを、お皿を見て思い出してくれたら嬉しいなぁ・・・。なんてったって聖地ですから~。

何も変わらない、なんていうのはゼッタイあり得ない、一見変わっていないように努力しながら・・・少しずつ変化させてい
るのが、本当の伝統なのかも。この地でこの仕事を若い人が引き継ぐ・・・コトの重みは、20代の私には解らなかったの
で・・・。40代になって少しだけ成長したのだとしたら・・・巡礼の甲斐がありました。       つづく。
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by senshoku-iwasaki | 2013-07-31 21:26 | 岩崎のある日
ルーツを辿る珍道中。その1
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6年前に103歳で天寿を全うした、私(エツコ)の母方の祖母。その七回忌の法要に、80歳の母と共にiwasaki家では
初となる、九州旅行に行ってまいりました。
母は、かなり足腰が悪く・・・。旅の歩行が困難になってきているので、昨年の山陰修学旅行(!?)のときと同じく発案
は私。企画実行はクニヒサ!という・・iwasakiスタイルで。3000キロを超える車の運転は、全てクニヒサが担当(笑)。
5泊6日の長旅の、最終日にクニヒサ以外は飛行機で帰るコトにして。母の体力温存のために簡易車椅子を持っての
旅も初めてでしたが、母は見たがっていた門司港もゆっくり見物できて、カメラでパチパチ!
お寺さんとお墓は、祖父の出身地の雲仙・島原。祖父母一家が暮らしたのは、福岡・大牟田。母たちが戦中疎開してい
たのは、熊本・植木あたり・・・。今回は、そんな母のルーツを辿りながら・・iwasaki的にどうしてもチョット寄りたい(笑)
ホットなスポットを(無理やり!?)織り込ませての旅でした。
門司の前には、岡山・児島のデニムストリートに立ち寄って。ニッポンが誇る、上質なデニムの発信地でパワーをいた
だきました。
iwasakiが目指す織物は、キモノではあるんだけれど上質なデニムのような手織り物。丈夫で高そうに見えないけど(実は、材料費も高くてチョットお高くはなってしまうのだけれど・涙)着込むほどに味わいを増し・・・結果的に高くは無かった、と思えるような織物です。
児島では、たくさんの若い方々のフレッシュなエネルギーを感じて・・・。手織りのギョーカイにもこんなエナジーがやって
くるといいなぁ・・・なんて。門司の跳ね橋を見ながらぼんやり思いました。       つづく。
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by senshoku-iwasaki | 2013-07-30 18:06 | 岩崎のある日
iwasaki、東京ショールーム計画・・・進行中です。
f0177373_19561468.jpg突き当たりは第六天榊神社。そこを左に折れれば・・・。

iwasaki夫婦が22年前に挙式させてもらったのも、我が家
の子供らのお宮参りも、七五三もこの第六天。(クニヒサも
イワサキの母もこちら。)なんてったってホームタウン。

写真は、2年前の娘の七歳のお参り。60年前に母が締めた
帯は、どこも痛んでなく・・戦後のモノの無いときにどうしても
七歳のお参りをさせたかった、祖父母の想いが伝わります。
明治生まれの祖父が、千葉の房総から上京して玩具問屋を
この地で始めた頃のこの辺りはさぞ、活気に満ちていたんだ
ろうなぁ・・・。クニヒサの生まれ育ったこの地で、iwasakiの
お店を、今冬から年に数回(!?)開こうと思っておりまして。
その準備を、少しずつ進めております。『展覧会』といった気
合の入ったものじゃなくて(笑)。そのときどきのiwasakiの
テーマに沿って出来てくる、帯や着尺を現在進行形で見ても
らえる場所にしたいと思っております。

最近ようやく什器が決まりまして。50年以上変わらないデザ
インのものに・・・。なんせ、建物がクニヒサと同じ年の築44
年。天国の祖父母や父の、想いの詰まったビルの1階から
iwasakiの未来を紹介出来たらなぁ・・・と思っています!
by senshoku-iwasaki | 2013-07-17 21:22 | 展示会・お知らせ
Handsな織物。
先月今月と・・・iwasaki、糸をたくさん買いまして。
お金は無いけど、材料は有る。
とりあえず仕事は出来る・・・チョットだけ安心(笑)。
宮坂さんから以前・・・わけて頂いた生糸を、30キロ近く撚糸してもらいまして。
着尺に使える太さ、帯に使える太さ、うーん・・・どんな風に使おうかなぁ・・・と。
もうひとつは、紬のヨコに使う、まわたのつむぎ糸。
iwasakiの大好きな、自家織物の代表選手のような紬はもともと・・・。
繭を生産している農家で、出荷前に蛹が孵ってしまった『出ガラ繭』を、農閑期にまわたにして紡いだ糸で織ったものなどがルーツです。
今私たちが買うことのできる『まわた』は、ほぼ中国でつくられたものです。
日本国内では、結城紬の材料になる・・・福島県の『入り金まわた』というものも僅かですがありますが・・・。
中国でも山間地などで作られている、まわたの紡ぎ糸が昨年から高騰が続いているのです。
中国国内での需要というものはほとんど無くて、日本の紬向けに僅かに作られているのが実情のようです。
中国の人の、ライフスタイルが変われば・・・
そりゃぁ、キレイな生糸がとれる繭を、わざわざ・・・まわたにして、更にモーターフライヤーという、機械ではあるものの、
ほとんど手作業で糸を作る人なんていなくなるのは日本がそうだったように必至なのかも。
失ってしまってから、郷愁だけで戻るコトなんて出来ないし、それこそそんな懐古趣味な蚕趣味にしたくはないなぁ・・・
と思うのです。
iwasakiでは、久米島式と呼ばれるモーターフライヤーよりもっと原始的な方法で手指で糸を紡ぐコトもしますし、
昭和45年製のモーターフライヤーも、きつつき工房さんにメンテナンスしてもらっていつでも稼動できますが。
僅かにまだ残る、中国のまわたつむぎ糸も使えるうちは・・・使っていたいのです。
私たちがこの織物の世界に迷い込んでしまった、一番のお手本は・・・どこか山の中のおばぁちゃんが、家族のため
に・・・何もかも自分であるもので作った、自家織物でしたが。
そんな、ソウルフルで力強い織物を、たくさんの人の『手』を通してチョットだけ家族向けよりも生産性を高めて作りた
いと願って止まないのです。
手指の感覚と、関わっていないとわからない勘・・・糸偏の仕事はそれらの集大成。
貯金はないけど、今回ガンバッテ仕入れた糸たちは、必ずやiwasaki的に『良い織物』にしてゆく予定です。
着尺にかかっていると、毎日毎日写真を撮っても、ほぼおんなじ景色(笑)。
地味に地道に・・・今日もHandsな織物を、制作中。
by senshoku-iwasaki | 2013-07-13 21:40 | 骨子・背景
真夏の昼下がり。
甲府ほどではないけれど、昨日今日と・・・連日猛暑の南部町。
築130年の仕事場は、田の字だから全方角窓全開で、更にそれぞれマイ扇風機。
アタマには汗止めにターバン巻いて(笑)着尺をせっせと制作中。
・・・にしても、あづい。
でも、お昼ごはんまではがまんがまん。
お昼ごはんを食べて、もう一度仕事場に戻る午後1時頃にやってきてくれる郵便屋さん。
この暑いなか、町内でもこんな不便な山の上まで・・・カブに乗って郵便物を運んでくれているのかと思うと。
家中締め切ってエアコンをつけるのも・・・と。
一応午後2時になったら仕事の効率アップのために(!?)エアコンをオン!
うは~。爽やかだわねぇ~。文明だわねぇ~。天国だわねぇ~。もうチョット頑張らないとねぇ~。

4時になると、山の下までバスで帰ってくる子供たち。いつもだったら40分くらいかけて歩いて上ってくるのだけれど。
「途中で倒れても、誰も通らないかもしれない・・・(これは充分有りうる・笑)」と車を出すクニヒサ。
歩いてないけど、まっかっかに火照った顔して戻った子供ら。ランドセルを置くと仕事場に・・・。
「うは~。爽やかだねぇ~。文明だねぇ~。ココは天国だねぇ~。」・・・親子って嫌だわ。

「かぁちゃん、『人間国宝』ってなに?」いつものごとく唐突に、小5息子。
「生きながらに国の宝物って認定された人のことだよ。あーたたちみたいに未来あるチビッコたちも宇宙の宝だけどね。」
「それで『お子様』って言うんだ~!」小3娘。
「・・・そーじゃないかもしれないけどね・・・(笑)。」
「かぁちゃんは、『大師匠』が『人間国宝』だから機織りの学校に行ったの?」息子。
「バカ言っちゃいけない・・・。あーた、バカの生み親を舐めちゃいかん。あたしゃ、人間国宝も機織りも知らんかった」
「へっ!?かぁちゃん、なんでその学校に行ったの?」息子。
「行ったコトも無い、郡上八幡って町で一度暮らしてみたかったの。やったコトも無いコトもやってみたかったし。」
「それだけ?」息子。
「それだけ。でもおとーさんはちゃんとイロイロ知ってたよ。」
「調べなかったの?」息子。
「アタシはね、調べなくてよかった。今みたいにパソコンですぐ検索できたら、きっと行かなかったもん。そしたら、こんな
に面白いモノに出会うチャンスを失っていたワケだ。もちろん、おとーさんにも。」
「『大師匠』は、かぁちゃんにとって最初から『大師匠』じゃなかったの?」息子。
「そーなんだよねぇ。これで仕事させてもらうようになって10年以上経ってからかなぁ・・・。ひしひしと『大師匠』が言って
いた本当の意味がわかってきたのね。そういうコトだらけだね。」
「ふぅーん。」息子。
「親は選べないけど、師匠は選べるってワケだ。自分の中で『この人さすがだなぁ。スゲェなぁ。』と思えばその瞬間から
心の師匠となるワケよ。あーたたちもいい師匠に出会えるといいね。」
「親は選べないもんねぇ~」息子&娘。
・・・・ハモらなくても。
by senshoku-iwasaki | 2013-07-09 22:29 | 岩崎のある日
6台目の機。
f0177373_2058454.jpg縁あって昨年手に入れた機は、『三つ道具
式』と呼ばれるカタチの手機でiwasakiでは
まだ使ったコトが無いカタチ。
踏み木が8本まで増やせそうなのでこの度、
きつつき工房さんに8枚綜絖専門用に・・・
パワーアップしてもらいました。
8枚綜絖の織物なんで、クニヒサ専用だと思
いますが。私(エツコ)は、多綜絖の織物、
何が苦手って、綜絖に糸を通すときに間違え
やすいのがひとつ。綜絖がぶれて開口が
開き難くなると、タテ糸を潜って・・・
トビ目になってしまったり、またほどくのも大
変だったりと。織物は気が長くないと出来な
いので、私もかなり気は長いのですけれど。
それでもコレは、クニヒサの担当かな(笑)。
きつつきさん、8枚の綜絖がぶれ難いように
綜絖を吊るロクロを、シーソーのように作り変えてくれ・・・中古の道具に、新材が入って生
き返ったみたい!20年以上使われずに解体され押入れに眠っていたという機。8枚の綜絖が使われるコトの無かったこ
の機で、iwasakiで作りたいと思うモノは・・・懐かしくもあり、新しくもある工藝的な織物!!
・・・でもきっと、織るのはクニヒサ。
by senshoku-iwasaki | 2013-07-05 22:53 | 道具
『うさぎちゃん』→『うさギィ』→『うさ野郎』→『うさ公』への転落!?
f0177373_19512331.jpg現在小5息子が、ピカピカの一年
生だった頃、学校から持ち帰った
一本の鉢植えの朝顔。
その後、こぼれた種から勝手に
毎年芽を出し・・・。砂利の中から
『オハヨウゴザイマス』なのです。
なんだか健気なので、芽が出る
と栄養剤を砂利に刺してみたり、
つるが出てくれば、テキトーに麻
紐を軒に渡してやって・・・。几帳
面な人が見たらきっと、耐えられ
ないかも(笑)。
先月からどうやら我が家の床下
に住んでいるらしいウサギ。それ
も二匹?二羽っていうのかしら。

f0177373_19515150.jpg近頃どーゆーわけか朝顔が減っ
てる。つるがぶっちぎれ・・・。
なぬ!?犯人はお主だったか。
娘の植えたヒマワリも、息子の
イチゴも、クニヒサが水路に植え
たクレソンも。ほぼ壊滅・・・。
「かぁちゃん、うさぎは害獣だか
らフランスでも古くから喰ってた
んだってよ」シェフを夢見る息子。
「しょーこのヒマワリ、これから花
が咲く予定だったのになぁ・・・。
「なんでも食べちゃうなんて、カワ
イイ顔してバカなんじゃん?」
「チョット待って。相手見てるんじ
ゃ?この集落でイヌもネコも飼っ
てなくて『うさぎちゃんカワユ~
イ!!』なんてメロメロになるバカ
な一家っていったらさ・・・。」私。
「ウチしかないじゃんっ!!」娘。「飼っているのはカメだし。」息子。バカ一家、呼び名は変わってきたけれど。
それでも朝や夕方になると結構大胆に食事にやってくる『ウサ公』を、なんとなく一家で楽しみに待っている毎日。
by senshoku-iwasaki | 2013-07-02 21:22 | 工房周辺