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湯のしがあがった、Mさまの『結びの紬』。
湯のしがあがった、Mさまの『結びの紬』。_f0177373_21899.jpg

先日やっと・・・織り上げた、Mさまの『結びの紬』はほぼ八割が『工程』だったような・・・?
織り始めてもよく抜ける繋ぎ糸を、せっせと結ぶ作業に明け暮れて。でもでも
それだけに味も思い入れもある、iwasaki史上最高にiwasaki的な『何てこと無い』傑作となりました(笑)。

織物で一見・・・『何てこと無い』というのは、組成的に『ちょうどイイ』とうコトでもありまして。
なんだけれど。それだけじゃないトコロがまた・・・織物のわかり難くも奥深いトコロ。
見るからにホワーンとしてるとか、ざっくりしてるとか、ふわふわしている織物は、マフラーのような使い方
ならOKでも、着尺としては向かないコトがあります。

織物を勉強し始めた10代の終わりに、たまたま超有名な某デザイナーさんに
「あなた、織物を志しているなら、これ以上のものは無いから、これを目標にしなさい」と、
タテヨコとも手紡の木綿で生成りのままの反物をみせてもらったことがありまして。
それを作られた方は、当然大先輩で。普段はご自身で紡がれた糸を染めて木綿着尺などを
制作されておられる方です。その反物は、そのデザイナーさんのリクエストで作られたものでした。
もちろん私はそのときも今も、その方の生き方、仕事を、尊敬しています。
けれども、今でも疑問なのは某デザイナーさんのあの言葉。
白よりも美しいモノが無いのだとしたら、織物は成立しないとやっぱり思うのです。
iwasakiは絹織物が多いのですが、真っ白でそれだけで美しい絹糸を手にする度に染色するときは
いつだって、この美しい糸を汚してやいないか?と自分自身に問いかけます。
だからこそ、どんな切り糸だって捨てるコトができないのです。

あれから25年。私なりに織物にしがみつきながら生活をしてきました。
私はやっぱり。
あの生成りの反物よりも、大先輩が普段作っておられる縞や格子の織物が美しいと思っています。
それが『ぱっと見』だけじゃない、織物の深みなのだとつくづくと思うのです。

あのときの、あの美しい白にも負けない(と勝手に信じてます・笑)、色だらけの無地。
Mさまに、サンプルをみていただいたときに
「あのカラフルな繋ぎ糸だったから・・・きっと、すっごく田舎臭いモノになると思ってたの!だから
対丈もアリかと思ってたんだけどね。コレって、すっごくモダンじゃないっ!!オドロキだわ~!」
って、喜んでいただいて。
クニヒサと内心『ヤッター!!』ってガッツポーズだったのです。
向島にお住まいで、いつだってお洒落もお人柄も・・・粋でカッコイイMさまだもの。
繋ぎ糸だからって、フツーに野暮ったいなんて野暮なものじゃないモノにしたかったんですぅ~(笑)。

あのデザイナーさんにいつかもう一度・・・お目にかかる日があったら・・・と思っていたのだけれど。
残念ながらそれは叶わなかったので。
まだまだ・・・生きているあいだ中、私は織物にしがみついて(笑)。
いつか天国で、「織物は深いんですよ~」って言い返してやろうと企んでおります。
by senshoku-iwasaki | 2014-06-27 22:58 | 着尺・帯
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