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いま、iwasaki家の床の間の部屋を飾るのは・・・。
尊敬する日置先生の布たちです。
私たちが織物を学んだのは、当時郡上八幡にあった専門学校でしたので。
内弟子に入って、修行したわけではありませんから(笑)
『宗廣先生に師事・・・』とかは無いのですが。
私(エツコ)が、特に強烈に影響を受けたのは、日置先生なのだと思うのです。
日置先生の生き方、モノのつくり方、考え方・・・が、今の私を支えてくれています。
日置先生は、郡上紬の職人として大師匠、宗廣力三氏の右腕でした。
私が学生のときには、宗廣先生は足柄に工房を移して・・日置先生は郡上紬を
引退されていて。畑に藍を植え、すくもをつくり、藍を建てて・・・藍染めをされて
おられました。
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郡上紬で晩年、日置先生が考案したタピストリーのサンプル。
グラデーションが効いていて、凹凸感も美しく・・・。
学生時代・・・高山の旧家のコーヒーショップで、外暖簾としてこのタピストリー
が何連にも掛けてあったお店を見つけたときは、『織物力』を改めて体感した私。
宗廣先生の作品もですが。昭和40年代~50年代の郡上紬のタテ糸の、
しびれる様な色糸使いが大好きなiwasaki。日置先生だったのかぁ~!と
知ったときには、もっとお話が聞きたくて二人してご自宅に乗り込んでしまったのに。
「う~ん・・・。織りのことはなぁ・・・。ぜーんぶ忘れてしまったんじゃよぅ・・・。」と。
「かわりに、えっちゃんにコレをあげる。とにかくなぁ、宗廣先生と一緒に仕事が出来て、
本当に楽しかったなぁ・・・。考えるのが楽しかったもんねー。」
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「今もね、手指動かしてると、アタマの中空っぽになってね・・・。」
と、当時・・・蒲団針でダイナミックな絞りを縫っておられていて。
それから数年後、今から20年ほど前に・・・岐阜の画廊での個展のご案内を頂いた
ときに、どーしてもいただきたくて。初日朝、クニヒサが夜行バスで岐阜まで出掛けて
譲っていただいたのが、DMになっていたこの作品、『樹』。
当時私たちが暮らしていた、千葉の県営住宅にはスケール感が全く合わないコトは
わかっていたけれど(笑)。
のびやかでおおらかで力強くて愛に満ちている・・・日置先生らしい、この作品と一緒
にiwasakiも立っていこう・・・と、我が家の守り神。
20年経って・・・。こんなにピッタリな家屋に自分たちが暮らすなんて!当時は考えも
しなかったなぁ・・・。
絣も絞りも。魅力なのは、その『足』にあるのだと思います。
『足』とは絞ったところと、絞ってない部分との中間の部分。不確かでハッキリとして
いない部分。その部分にこそ、手指とその瞬間の、時の神様が見え隠れしていると・・・
私は感じています。
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iwasaki、今年の秋の新作は、この『足』を感じる八寸帯地です。
『ほぐし織り』という技法を使って・・・。ひょんなご縁で私のところにやってきた、大師匠
のキモノ
が発端で、この企画がはじまったわけですが。そのキモノも日置先生がバリ
バリに関わっておられた時期のものかと思うと感慨深く・・・。
織りと染めの中間のような、チョット堅くてチョット柔らかい日置イズムも感じられる新作
になれば・・・と奮闘中なのです。
by senshoku-iwasaki | 2015-06-26 23:52 | 骨子・背景
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