<< Sさまの着尺が織り上がりました。 来月末からのギャラリーkuji... >>
『只此の一つ』。
f0177373_19363222.jpg
雑誌『民藝』を知ったのは10代の終り、郡上での学生時代の頃。
当時は定期購読をして、バックナンバーも気になる辺りから求めて。
帰省のときは、神田の古本屋街でクニヒサと古い号を探したり。
南部町に暮らしてからも、時々・・・持ってない古い号がネットに出ていたりすると買ってしまいます。
八百万の神様を信じている私(エツコ)ですが、最も影響を受けていて。
たぶん死んで肉体は滅びても(笑)、この思想は私の中に残っちゃうんじゃないかなぁ?と。
毎日ではありませんが。時々手に取ってパラパラと読むと、その都度新鮮で。

その日たまたま手にしたのは、柳悦孝さんの吉野格子の八寸帯地(・・なのかなぁ?)ざっくりとした、
まるでヨーロッパの、素朴なクロスの刺繍のような吉野格子が表紙の、昭和36年の12月号。
この年の5月に、柳宗悦さんがお亡くなりになった年でして。私はまだ、この世に影も形も無い年です。
そこに遺稿として『只此の一つ』というお話が。
 ー 今朝、ふと隣室のラヂオから私の病室に、英国の民謡「ホーム・スヰートホーム」が聞こえて
来ました。- 
で始まる、宗悦らしい分かりやすい言葉で宗悦も大好きなこの歌は、当時からざっと半世紀ほど前に
イギリスのアデリナ・バッティーという歌手の十八番で、バッティーといえばスヰートホーム、
スヰートホームといえばバッティーと言われるほど、聴衆は聴きたがり、またバッティーもそれに応えた
という話から『只此の一つ』に活きると、何を作っても悉く美しくなる・・・それはつまり作り手の
『只此の一つ』の心が美しさの源をなしているといえましょう。という内容でして。


その晩、夕食のときにクニヒサにその話をして。
「たぶんさ~。前にも読んだのかもしれないけど、へぇ~って思ってさぁ~。『ホーム・スヰートホーム』
ってどんな曲?って思ってググってみたら、『埴生の宿』なのね。つくづく本当に首尾一貫な生き方だと
思って・・・。」私。
「はにゅうのやど?って何?」クニヒサ。
「えっ!?うっそ?『埴生の宿』だよ。♪ルルルールルルル~」鼻歌で私。
「益々ワカラナイ(笑)。」クニヒサ。
「かぁちゃん、オレもワカラナイ。」中3息子。
「かぁつんの鼻歌で育ったから、しょーこ音痴になったんだわ!」中1娘。
「何をおっしゃる、おサルさんよっ!あーたは生まれたときは、おっぱいも忘れて死んでるんじゃないかと
思うくらい寝続けて。動き出すようになったら、今度はあまりにも運動量が多くて(笑)、突然バタンと
これまた死んだんじゃないかと思うような電池切れで。どこでも爆睡して・・・。
あーたには子守歌も、お休み絵本の読み聞かせも。あたしゃ、何もしてないわよ。あれ!?もしかして。
あーたのジャイアンばりの音痴がバレたん?」私。
「そーなの。しょーこのことモンチッチって呼ぶ男子がいてね。ま、スルーしてたんだけど。
今日音楽でさ、合唱練習でそいつの近くで。歌い終わってボソッとしょーこに、『オンチッチ』って。
敵ながら上手いコト言うなぁと思って、不覚にもブッって笑っちゃったんだよねぇ~。
したら、すんげぇドヤ顔してて。
でもみんなモンチッチ知らないから、ディスられた上に、しょーこがスベったみたいな空気になって!
最悪でしょ~。」娘。

結局。
『埴生の宿』メロディーを聴いても、我が家では誰も知らず。。。
「誰でも知ってゐる曲」と宗悦が記述してからざっと半世紀。
モンチッチは、私が小学生だったからざっと40年・・・。
「みんなが知ってる」は、いつかモヤモヤと・・・みんなの記憶から消えてしまうかも!?だけど。
この『民藝』のスピリッツは、きっとずっと時を超えて引き継がれて。
『只此の一つ』は、宗悦の魂なのかもしれないと改めて読み返したりして。
この号、興味深くて。
この年の民芸館展入賞者に、大師匠の名前を見つけて。
織物の部の、柳悦孝さんの講評の中に、~この郡上の宗広さんの仕事は一番織物の玄人の仕事となって
きている~とあり、若かりし日の大師匠が、ここから駆け上がっていった様子が浮かびまして。
きっと。毎日苦しくて、楽しかったに違いありません。
それは今のiwasakiも。





by senshoku-iwasaki | 2017-10-31 21:59 | 岩崎のある日
<< Sさまの着尺が織り上がりました。 来月末からのギャラリーkuji... >>